ただひとつ、数よりも質に思いを凝縮させて

言葉を書いている以上、日本語には敏感になります。
だからと言って今の「ら」抜き言葉や造語に嫌悪感はない。
日本語は世界の言語でも希少な変化する言葉です。
その辺の話を始めると長くなっちゃうから省きますが
音の響きの美しさとか裏打ちされた思いなんかは
おそらく普遍ではないかと思うので、俺もひとりの表現者として
そういう部分は継承してゆきたいと思うこの頃です。

ひとつひとつを軽んじることなく。

心が濁って澄みきらないから
<澄みません>
と言ったそうです。
なんだか最近は謝罪(のフリ)をすればすむという風潮
になってきている。もしくは謝り方を知らぬ人も多い。
上善は水の如し、澄んだ水のように生きて(生きたいと思って)
いれば澄み切らないときに「澄みません」という言葉が出てくるはず。
上澄みのおこぼれを飲んでいてはわからないことです。

先人たちの素晴しい言葉も書いてゆきたい。

ことわざ×書×自然シリーズも時々ここで発表してゆきます。

しかし連日いい空だ。

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