心はその向こうを見据え、捉えているか

先日のイベントで即興で描き上げたものについて。

一年半くらい前にある縁があって、ひとりで和歌山県の
高野山に登って、宿坊に泊まって勤行などにも参加しました。
そんなわけでちょっと前に本屋に行ったときにある雑誌が
高野山の特集をやっていたので購入。
その中に載っていた言葉に強いインスパイアを受け
今回筆をとりました。

先日はこの言葉をMCのシンスケさんに朗読して
もらいながら龍を描いた。

こんな言葉です。
どうかじっくり心で読んでみてください。

***********************
その眼は開いているか。

曇りだ、雨だと嘆く者を尻目に、
雲の上の太陽を、月を、星を見通せているか。
動かぬ種を見て、そこに芽吹きを見、
繁茂(はんも)を見、開花結実までを見通せているか。

のんびり生きるのは嬉しいことだが、
ぼんやり生きては話にならぬ。
この世には一筋の道、法がある。
何が何に通じ、何が何を生みなしているか、
常にその道を、法を見ていたならば、
闇に光りを見、種に花を見ることも難しくない。

過去の経験を活かすことができれば、
新たな局面にも恐れはない。

理不尽と矛盾と束縛の中を、
ちゃんと生き抜いてきたのだ。
その時には、閉じたふりをしていたとしても、
経験はすべて残っている。

必ず、己を活かす場が用意されている。
それがいつなのかは知らぬ。
時が来て慌てぬよう、
眼を開いておかなければなるまい。

雲上には、常に、天があり続ける。
***********************

「雲上在天」。

俺はどこを見ようとしていたのだろう。
眼からうろこが落ちるとはまさにこのことだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。