引退。

前園が引退を表明した。韓国でプレーしていたが今回セルビアリーグのテストも合格に至らず、引退を決意したらしい。小さい体でちょこまかとドリブルする卓越したテクニックが好きだった。スポーツ選手の辞めどきは非常に難しいと思う。トップアスリートになればなるほど。スポーツと芸術の酷似している点は常に内なるイメージと対峙すること。それが外に向けイメージ通りかそれ以上にならなくなったときに弱気になる。もしくはイメージそのものが枯渇したとき。最近の前園のプレーは見てないけれどまだまだできそうだし寂寞の思いだろう。これからフットサルの試合に向かう、イメージは彼のようなドリブル。しかしいつまでたってもイメージの域から脱することができない私ではある。

PUJIという男

いろいろと書いてきたけど最後に今回どうしてもかかせない人のことを書きたいと思う。その男との出会いはこんな風だ。現地からの日記にも書いたけど昼間にちょっとしたトラブルがあって気分が悪かった。しかし腹は減るもんでホテルの近くのワルンになにげなく入ったところそこにその男PUJIが笑顔で迎えいれてくれた。ちょっと会話しただけで前から友達だったような感覚になった。結局一時間以上話して笑顔でわかれた。滞在最後の夜も閉店近くに店に行き、閉店後スタッフが帰ったあとも延々とふたりで話した。お互いの夢や、仕事、プライベート、ときにここは東京の居酒屋にいるのかと思うほど熱く、またジョークを飛ばしあいながら時間はするすると流れた。英語で会話してこんなに腹の底から笑ったのは初めてだった。日付が変わってから歩いて数分のホテルの道のりさえもバイクで送ってくれ僕らは握手して別れた。翌日の最終日も朝10時前にはホテルのロビーで待っていてくれ、バイクでデンパサールという街まで送ってくれた。当然こっちがお金を払おうとするといらないと言う。じゃガソリン代だけでも貰ってくれというと「俺はKojiを友達と思って連れてきたんだ、友達からお金を取る奴はいないだろ」と言う。さすがにこっちもグッときたね。夕方チェックアウトしてピックアップバンが来るまでPUJIの店で最後のビールを飲んだ。わずかビール二本でほろ酔いになったのは明るい陽気のせいでも空腹だったせいでもないだろう。僕は東京営業部長になると約束してきた。クタのアディ ダルマ ホテルそばの「WARUNG KITA 」というお店です。ちなみに「KITA」とは英語で「OUR」。PUJIはいつも「自分」ではなく「我々」な人なのだ。

サンセット。

3日目の夕方、連日の暴飲暴食と暑さで身体が少し疲れていた。なんとなく寂しさも感じながら午後はホテルで昼寝して夕方にふらふらとビーチにでることにした。クタというサーファーたちで賑わう有名なビーチのそばにいながら今回は一度もビーチに行ってなかった(とにかく物売りに辟易するからだ)。時間は6時過ぎ。なんとビーチにでるとため息がでるような夕陽が待っていた。もう物売りの声など耳に入らず砂浜に座ってただただ海に陽が落ちてゆくのを眺めていた。こんなダイナミックな夕陽を感じたのは生まれて初めてだった。ホテルに戻ると誰もいない夜のプールでいつまでもひとり静かに泳いだ。

友人たち。

今回はひとり旅だったけど、向こうの人たちはとてもオープンでフレンドリーなのですぐに友達(もちろん金目的の奴らもいっぱいいる)になれる。エイコーは日本語学校に通う学生で日本語を教えるかわりにいろんなところにバイクで連れていってくれた。町はずれのきれいな海に行ったり、英語さえ通じない地元のワルン(安食堂)で食事したりした。もちろん日本にくることはできないって言ってたけど地元でたくさんの日本人にお前とバリの良さを伝えてくれよ(もちろんこのメッセージも伝わらないけど・・・)。もう一枚は前回バリに行ったときに仲良くなったソニっていうマッチョなサーファーが働くお店のオーナー。これまたスタッフ含めてよくしてくれて(食べたあとは必ずバイクでホテルまで送ってくれた)お礼に書を描いてプレゼントしたらとっても喜んでくれてたくさんのスタッフに囲まれた。でもみんなインドネシア語で話しかけてくるのでさっぱりわからなかった(笑)。クタのはずれにあるナイトマーケット(ガイドブックに載ってます)の「DEPOT ROMANO」というお店。ついでに大きいピンクの紙に落書きもしたのでバリに行った際には是非。この他にもいろんな奴と知り合ったけどみんな暖かかった。バリ人はものごとを白黒で分けずその間にある部分も理解する寛容な人たちだ。

I’m back!!!

さきほど無事日本に帰ってきました。成田エキスプレスで帰ろうとしたら事故で大幅にダイヤが乱れ、いつ動き出すかわからない状態なのでリムジンバスで帰ることに・・。まぁどっちでもよかったんだけど最後までハプニング続きの旅でした。向こうにいる間にこのサイトも開かなくなる事態でご迷惑おかけしました。今回、いろいろと想い出深い出来事があったのでいくつか写真とともに紹介します。まず最初に最終日に行ったデンパサールの話(最初に最終日の話するか?)。デンパサール(「北の市場」という意)というだけあってものすごいエキサイティングな街です。ここはリゾートでもなんでもなく地元の人たちの生活の場。とにかく街の中心に立つと魚、フルーツ、花、香辛料、排気ガスの匂い(臭い)が混然一体となって鼻をつき、そこに人いきれ、強烈な陽射しで息苦しくなってクラクラする(ほんとにそうなった)。買い物ひとつするのになんだか殺気だった感じ。人間が生きているっていう力に圧倒されて妙な高揚感を覚えた。インドとかってこんな感じなのかな。シャッターをきることも忘れ、ちょっとこぎれいなこの一枚だけ。リゾート感覚味わいにバリに行く人にははっきり言っておすすめできません。でもこのAnother side of Baliは麻薬のようななにかを感じさせた。

バリからの日記 Ⅲ

今日は朝からとても暑い。円を残しておくためにいくらかのルピアを両替をしようと両替所を回るもことごとく断られてやっと見つけたときには汗だくでグッタリだった。街を歩く、執拗な物売りは商売熱心な人と思い、店内の床に寝そべっている店員はこっちを気楽にさせてくれていると思えばすべてOK。昨夜は1時過ぎまで深夜の街を徘徊したけどとても静かでなんだか寂しくなった。今日はどんな出会いとハプニングが待ち受けていることやら。

バリからの日記 Ⅱ

怒りと喜びの振幅が激しい日です。今日は生まれて初のトローリングに挑戦しました。そこでその会社にどうしても納得いかない事件(内容は長くなるので割愛します)が起きてものすごい大喧嘩をした。それまでは日本語で話していたけれど喧嘩になった時には日本語ではアンフェアだと思い英語で話したら完全に押されてしまった(笑)。日本語にしておけばよかったぁ。最終的には和解したけど周囲は完全に引いてた。なんだか気分が晴れぬまま夕方ホテルに戻って遅い食事(本当はトローリングに食事も含まれていたけど怒って車で送還された)をしようと近所のワルン(ローカル食堂)に寄ったらそこのおやじ(PUJIさん)がとてもナイスな人で一時間以上も話し込んでしまった。なんと福知山線の事故も知っていた。こちらもずっと英語だったけど苦することなく楽しい時間を過ごした。みんな同じ人間なんだよなぁ。これから食事に行ってきます。

バリからの手紙

抜けるような青空のバリ島のインターネットカフェから書いています。昨夜グアムを経由してヘトヘト(地球の反対側に来たのかと思うほど)になって到着。今日はゆっくりプールで泳ぎジャランジャラン(散歩)してのんびりしてます。個人的にメールもしようと思っていたらアドレス帳をホテルに忘れてくるしまつ。もちろん携帯電話もなし、今日は時計も見ていません。明日は早速友達になったエイコーという現地の若者にちょっと足を伸ばして釣りに行ってきます。しかし便利な時代になったなぁ。拳銃盗んだ奴がブラジル人だってこともこっちで知ることができるんだから。バリの感想?朝からビールを飲んでしまう、そんなところです。また明日にでも書き込みます。

タビビト

今朝は七時半に起きてすぐに仕事にとりかかり出発間際にやっと終わった〜。
ぐっすり休むこともなく、これから「焼きとり不良倶楽部」なるライブと酒のイベントで歌ってくる。今夜は絶対に飲み過ぎない、早く帰って寝るとこころに決めてはいるが・・・。明朝から約一週間、バリ島でのんびりしてきます。青空とビール、まっとけよ。写真は静かに出番を待つキャリーバッグ(撮るものがなかったもんで)。

作品。

最近、親父が絵を習い、描き始めた。
昨日、実家に戻ったときに見せてもらったのだがこれがなかなかに上手い。
昔気質の頑固で無口な人だから怒ることはあっても、人に怒られるのが大嫌いな体質。
そんな親父が絵の先生の叱責に耐え、くやしさを噛みしめて頑張っているらしい。
70の手習いなどどいうのは聞いたことないがいつだって始めたときが始まり、遅いなんてものはないんだなぁ。